自転車が180台に、車がざっと100台。
選手のみならず、報道陣も運営スタッフもスポンサーも、
みんなが街から街へと移動するツール・ド・フランスは、
大き過ぎる移動遊園地のようだった。
フランスだけにとどまらず隣国も訪問。
大小関係なく、あらゆる街が拠点となり、
広い狭い関係なく、あらゆる道を大キャラバン隊が通っていく。
その行く先々で、人々は目を輝かせて到着を待ち、
ツールがこの街で行われるという誇りを
さまざまなシンボルで表現する。
レースは180台の自転車が繰り広げるものだが、
選手と共にバイクが、その前方と後方には車が走り回り、
見上げれば、上空にはヘリコプターが何台も飛び回っている。
これも一つのレースのような状態。
これが3週間、毎日続くのだ。
そこから生まれる様々な物語が、人々を魅了しないわけがない。
だからこそ96年という歴史があるのだと思う。
今回その180人の中に、
戦後日本人選手2人目として新城幸也と別府史之の2人が参戦し、
日本人初のツール完走を果たした。
ツール参戦と完走。
この2つを同時にやり遂げることがどんなに大変なことか!
欧州ではそれが普通でも、日本にとっては、
それは、それは大きな一歩となったであろう。
しかも2人は、当然のごとくやってのけた。
それどころか「もっと良い結果が出せた」と
悔しい思いを語ることもあった。
完走が目標でなく、
2人の思いがそのもっと先にあることを知った時、
我々の方が、彼らの温度に触発されたような気がする。
そんなツールも終わってみると寂しいもの。
思えばスタート地点のモナコで、
何とも言えない一体感を味わった時、涙が出た。
そして帰国した今、いつもいる赤いシャツを着た交通整理の人に、
喋れないなりにお礼をすれば良かったと個人的に後悔している。
慣れない道で慣れない右側通行。
そんな不安の中、彼が立っている所に来るだけで、
何か安心感を与えてくれた人だった。
最後に、ツール・ド・フランス初取材に
色々なことを教えてくれた日本人記者の皆さん、
自らが怪我をしている状態の中で帯同させていただいた
ジャーナリストの大前仁さんに感謝し、
ツール・ド・フランス2009の取材報告を終わらせていただく。